オナニー原理主義
ここにチンポによるシンポジウム、「チンポジウム」を開催する.....‼︎‼︎
我々男性はいつだってそうだ、如何にちんちんを気持ち良くするかに脳の9割を費やしている。
あるものは己の左手を愛し またあるものはあらゆる道具を用いて道の扉を開く。 そうして人類はまた一つまた一つイデア界へと歩を進めて行く。
かくいう中高時代の俺たちには暗黙の中で一つルールがあった。
「道具を使ったら負け」
オナホやローションなどそういった性のために作られた道具を使うのはダサい。そういった共通認識が確かにあった。
我々人類がこの地球で生き残れた最たる理由は何と言っても知能であろう。そして道具とはその知能を具現化したものであり、道具があったからこそ人類は獣を狩り寒さを凌ぎ今の今まで繁栄をしてきた。
その人類の最たる武器「道具」を捨てる事 それは究極的原始回帰を意味する。
そう、原始に立ち返ることによってより人間の本能である「性」と立ち向かおうという試みである。オナニー原理主義の始まりだ。
嘘である。本当は金がなかった俺たちは如何に金を使わずにちんちんを気持ちよくするかという事に青春の全てを捧げただけだ。
中学の友達、竹やんは言った。
床オナこそ至高である。
男性諸君なら一度は試したことがあるであろう床に陰部を擦りつける事によりエクスタシーを高めるアレであるが、周知の通りアレは今ひとつ快感の度数が低く、より上を見据えた我々にとってそんなんじゃ扉は開かない。
床オナには利点があるんだよ、それはリビングで親や妹を前にさり気なく出来る事だ。
そうするとドキドキしてめっちゃ勃つ
衝撃である。如何におちんちんに物理的作用を働かせるかという俺たちの考えから、武田はそこに心理的作用というとんでもないスパイスをふりかけたのだ。
だが一つ問題がある、どうやって射精するのか これは大問題だ。
俺: 竹やん、どうやって射精までいくの...?
竹: そりゃソッとトイレに行って左手でシコシコドピュよ。
ふざけるな、竹内
我々オナニスト達は方法は違えどゴールは一つ、その登り方に人それぞれの美しさや人間味がでる。
だがしかし、どれだけ美しい登り方をしようがゴールがそれでは台無しである。
そんな俺たちを前に竹内は待ってましたとばかりにニヤリと口を開く
床オナはな、「「「前戯」」」なんだよ
一同 衝撃が走る。
彼はオナニーという独りよがりに「前戯」という行為を付け加えたのだ、コペルニクス的転回である。
前提が崩壊した瞬間であった。 竹内というこの男は若干14歳にして我々のオナニーに羞恥という色を与えるだけではなく前戯という心までも与えたのである。
しばらく学校では床オナが一世風靡するという異常事態が蔓延した。
負けてはいられない 俺たちも俺たちもと誰もが竹やんに続いて自らのオナを見つけるため試行錯誤し性の海へ旅立つ。
ゴールド・D・竹やん「さがせぇ!!! この世の全てをそこに置いてきた!」
世はまさに大航海時代である。
そして次に続いたのが俺だ。
俺が辿り着いた至高のオナニーは、手をお尻の下に入れ踏み続ける事で麻痺させ感覚のない手でシコる事によってまるで手コキされてる状態を再現する事ができるのである。
麻痺の英語訳「palalysis」とかけてこれはパラニーと呼ぶ事にした。
どこまで行っても所詮は男である。SEXという未知への興味は凄まじいものであり、 オナニーをよりSEXへと近づける事それは我々オナニストの目指す一つのゴールなのである。
そのSEXに最も近づいたのがこのパラニーである。
いや、これが手コキかどうかなんて知らない 何故なら誰も本物の手コキを味わったことがないのだから。
だがそんな事は関係ない。 これは手コキだ!!!!これは手コキだ!!!そう全員で叫ぶその瞬間俺たちはあのペルセウス座より輝いているじゃないか。
だがパラニーは後に 悲劇を生む事になる。
いつものようにPCでアダルト動画を見ながら手を尻の下に置いて血の気を引いていく、さぁ準備はできた、GOGOGOGOGOGO!!!!!!!
(ガチャ)
唐突に親が帰ってきたのである、生憎PCはリビングの中央に設置されており親がここにたどり着くまで15秒、脳が急いでブラウザを閉じズボンを履けと命令する。
現実は非情である。
麻痺した指が一本も動かず焦ってマウスを握ることすらできない。
余計に焦る 止まらない冷や汗
せめてズボンだけどもと持ち上げようとするが指一本動かない。
残りの3秒を使って僕は神に祈るしかなかったのだ。
嗚呼 人間は無力である。
人は何故争う? 憎しみや憎悪は何故うまれる?
生まれ変わったら私はセミになりたい。
一生の9割を土の中で過ごし最期の一週間を精一杯地上で叫ぶんだ
俺はここにいる 俺は生きているぞ と。
僕の人生が終わった瞬間であった。
しばらくすると校内で似たような体験が蔓延しパラニーは失う代償がでかすぎるとまるで諸刃のような扱いを受ける事になる。
それでも俺たちはやめない。 諦めが人間を後退させるのだ。 前進に犠牲はつきものだとね。
ある日チンコの黒くなったヤリチンサッカー部の奴が言った。
パラニーしたけど手コキと全然違うわ
こうして俺の時代は瞬く間に終幕した。
俺たちは限界だったのかもしれない。 発想の限界を迎えた僕たちは、コンニャクやオリーブオイルを使い始める。
これは「道具」じゃないかって?
否 違う、これは性のために作られたものではなく、ダメな事をしている背徳感がダンチなのさ。
さぁ夜明けは近い。
一緒にそのオールを漕いでくれないか?
性に優劣なんてものは存在しない。
釈迦の言葉にこんなことばがある
「生死を越えた求道者に、階級の差別などありはしない。」
俺たちは知っている決して世の中は平等なんかじゃないと。
なんの不自由もしない奴らが今日も言うんだ、みんな平等だって、差別を押し付けるのはいつも優位な奴らだけさ
不憫を押し付けられて生きてきた側だろう俺もお前も
だからこそ俺たちぐらい優劣つけずに生きていかないかい?
10人いれば10のオナニーがある。
____私が左手でこすっても
_________床オナの前戯はできないが
______________床オナは私のように
___________________地面を早くは走れない
____左手をどれだけこすっても
______バイブの振動はでやしないが
______________あのバイブは私のやうに
_________________たくさんの唄は知らないよ
みんな違って。みんないい。