年の瀬によせて
今年も好き勝手に生きてきました。とても強気で、孤独で、享楽的でした。
楽しいことと美味しいものだけを考えて生きて、人に嫌われることを厭いませんでした。
ずっと日々を曖昧に生きていました。
何もない日々を、何もないものとして、ただ生きていました。
そしてそれは、本当に無意味なものでした。
日々の繰り返しに意味を持たせたくなくて、ただ目を背けながら曖昧な方に、そんな曖昧な日々のツケがいつか来るのを分かっていながら日々をうろんに過ごしていました。
そんな2022年の今年にその“ツケ”がきました
色々とありましたが4年付き合ってた彼女と別れたのと古くからの親友が死にました
彼女の最後の言葉は出来るだけ俺に苦しんで死んで欲しいとのことでした
当然のことかもしれません4年付き合ってはいましたが4年付き合っているという事実以外は何もなかったからです
思いの外しみったれた年になってしまいました
今日は、このままだと仕事も全部捨てて野垂れ死ぬと思ったので、生活の拠り所にと思い 犬でも飼おうかとインターネットを見ていました。
柴犬とか結構懐きやすいし承認欲求ぶつけても大丈夫そうだからいいなと思ったのですが、自分の勝手で生命に手をかけるのは絶対違うと思ったし、柴犬に人生の拠り所を預けるのは柴犬側からしても荷が重すぎて可哀想だし、抜け毛とか凄いらしいのでやめました。
そもそも犬って死ぬからしんどいな 死なないペットがいたら飼いたいと思いました
歳を取ればとるほど、周りの人間が消えていくものですね
結婚だの就職だの形は様々あれど今年はちょっと顕著だったのが辛かったです。
常に思うことがあります、「一体あと、どのくらい。」とです。
あとどのくらいの回数、自分の周りには人がいてくれるんだろう、と。
28歳のいま出来ていることが30、40と成り果てた時にさてどうなっているのだろう。
主観は緩く、客観は冷たく とても残酷に全員に等しく時間が過ぎていく。
自分はただずっと何かがしたい訳でもなく、結婚がしたい訳でも仕事で出世したい訳でも何か欲しいものがある訳でもない。
ただ、単純に今の自分のままで曖昧に過ごしていけるだけで幸せでした。
出来れば10年といわず20年といわず、気の済むまでこういうことができたら……と、それが望み過ぎなのは、分かっていることなのだけれども。
来年は29歳 何の価値もない20代もいよいよラストなのでどこか旅行でも行きたいですね
お前ら全員俺より長生きしてください
俺は多分45くらいで病気かなんかで死ぬから、あと20年ぐらいは生きててください。
約束。