生活

食べ物で遊ぼう

ホラー映画のススメ



ホラー映画観てますかホラー映画 


とにかく好きなんですホラー映画


怖いのが好きとかじゃなくてホラー映画が好きなのです


オススメ紹介させて下さい


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「オカルト」
通り魔事件をたまたまとらえた動画から始まる

そして通り魔事件に関わった被害者達や親族をインタビューしていくうちにとある共通点が見つかっていくというドキュメンタリー風ホラー

面白い かなり面白い 最初に映る3分間ほどの事件映像が色んな人のインタビューを聞いていくうちに見方などが変わっていく どんどん続きが気になる作品

最終的にオッサン2人が協力して爆弾テロを行おうとするのだが、その歪んだ友情にどこか青春みたいなものを感じる しゅごい。




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「放送禁止シリーズ」

何作品かあるがシリーズ共通してテーマが「普通の番組を作ろうとしたらありえないものが写ってお蔵入りになったビデオ」という設定がある

一見普通のテレビ番組なのだが、色んな所に伏線みたいなのが散りばめられており、全く別の隠されたストーリーがあるというもの。

例えば窓から誰かが見張っていたり 子供の描く絵が殺人現場のヒントになっていたりと、見た後に考察や答え合わせなど2回目を見ると全く別のストーリーになる天才がつくっている 

幽霊とかでてこないし1時間くらいで終わるがイイ
2作目の「大家族」か4作目の「隣人トラブル」がかなりオススメ




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死霊館 エンフィールド事件」
多分いままで見たホラーで一番面白かった。

幽霊がひたすら攻めてくる映画 
最初子供が夜に幽霊を見て、親が来て「嘘おっしゃい!幽霊なんていないじゃない」なんてお決まりパターンがホラーにあるんですけど、おかまいなしに「おるで!!!!」って幽霊が襲って来る。
当然警察を呼ぶ イタズラじゃないかと疑う警官達に容赦なく幽霊襲ってくる 
出てきて欲しい時に幽霊がでてくれる、幽霊の自己主張が激しすぎてスカっとする。
 7、8人で固まってるのに平気で幽霊攻めてくるから笑う

最終的に最強霊能者とマスコミを呼んで幽霊現象をカメラで撮影するというもうやりたい放題


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「コワすぎ4 トイレの花子さん
 ネットホラー界で絶大な人気を誇るコワすぎシリーズの4作目 

コワすぎとは視聴者から投稿ホラーが送られてくるので調査隊が原因を突き止めに行くというホラー版探偵ナイトスクープみたいなドキュメンタリー風ホラー。 

口裂け女を車でひいて金属バットで追いかけ回したりもうやりたい放題

なんと4作目では花子さんの呪いで死んだ女の子をタイムスリップして助けに行くというシュタインズゲート的なタイムパラドックスホラーとなっている ちゃんと伏線などもあり何回見ても面白い めちゃくちゃ好き


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残穢
和製ホラーの最高傑作

今まで見たどんなホラーよりダントツで怖かった

よくあるいきなり大きい音で脅かすなどはせずジリジリと精神的に追い詰めてくる怖さをひたすらやる。

ただストーリー構成がめちゃくちゃしっかりしてて超面白い 怖いひたすら怖いのに何だかんだ最後まで見てしまう天才が作ってる。 

いわゆる事故物件の話なのでこれをたまに思い出して一人暮らしが怖くなることが今でもある。 でもまた見たい





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ホーンティング オブ ヒルハウス」
今まで見たどの作品よりも完成度が高くホラーの新しい時代を切り開いたのではないかとも思える作品

少年時代と青年時代 2つの時代をオムニバス形式で描いており、7人家族の話

少年時代は地元で有名なお化け屋敷に引っ越した家族が心霊現象に悩まされて、ある日母親が自殺する
母親が自殺した日に一体何があったのか

また、少年時代に負ったトラウマに家族全員で立ち向かっていく青年時代 ホラーとみせかけてかなりのハートフル でもやっぱ怖いとこは怖いホラー

ホラーという理由で毛嫌いしている人もこれはマジで一度見てみるべき ホラーもここまできたかと思える最高傑作



ホラー映画を見ましょう 頼みます



カラダとココロ 人間の全部 オリンパス 



誰しもAV監督になりたい




いやはや人間の業ってのは深いものでして~


イィイィィィヤァ 落語の入り!!!!






セックスに小慣れてきた頃、我々は一つの願望を抱く。

「色んなプレイがしてみたい」


ポンチをコマンにズッポシズッポシするだけでは飽き足らず次の快楽を求め始める。
それはセックスよりも薄々オナニーのが気持ちいいという事実に気付き始め、じゃあオナニーするかともならないオトコの性である。
 そこでたどり着くのが「AVの真似」である。


我々男性は初めてセックスに挑むという時にこれでもかというくらいAVを注視し、普段は目もくれない男優の手の角度や発言を事情聴取のようにノートにまとめ勉強するのである。

そしてまたセックスを終えればAVを見て男優たちのスムーズな体位移動に感銘を受け反省するのである。


このセックスPDCAサイクルによって手マンすら教えてくれない厳しい規制かかった教育の中、日本の性生活は保たれているのだ。

すなわちAVとは困った時に立ち返る人生の教科書であり、いつでも暖かく迎えてくれる実家でもあり、なくてもいいがどこか人生にはなくてはならないと思わせる親友なのである



プレイの幅は広がっていく、アイマスクなどのソフトSMから始まりアナルを開発し終わった後、我々は次にこう思うのである。




「AV監督になりたい」

我々はAVに育てられ生きてきた、育てられた側が恩返しがしたいとAV監督を目指すのは水が山から川へと至極当然の話だ。


我々成人男性の全員が全員例外なくAV監督になりたいそう考えている。
それは恩返しがしたいという気持ち5割、モザイクの向こう側へという気持ち5割だ。 何も間違ってはいない 泣ける話である。




そしてウブな目をした彼女にこう告げる




「俺さぁ... AV監督になりたいんだよね... だから練習でちょっくら撮らしてくれない...?」




当然である。 AV大国日本において業界は激化を重ねている。そんな中に手ぶらで乗り込む訳にはいかないため我々は彼女にハメ撮りのお願いをする。
それは監督になるための特訓が5割、彼女が恥ずかしがってる姿を見てチンポをイキり立たせたいという気持ち100割である。



これを見ている淑女の方々へ。
我々男性がハメ撮りをしたがるのは仕方ない事なのである。「ぅん...マー君の夢のためだもんね...」と彼氏のために一肌脱いで欲しいのだ。(二つの意味で、うまい) 




だがくれぐれも勘違いしないで欲しい

「オトコってハメ撮りが好きなんでしょ? とってみなよw」

そんなことをのたまうそこのお前。


俺たちは淑女がカメラの前で必死に手で顔を隠しながらもガードがガラ空きになった下半身をこねくり回し段々と「もうスキにてたもぉ〜!!!あたい頭おかしくなるたい!!!」と最終的に手をおっぴろげに全てをさらけ出す彼女が見たいのであって、テメェのガバガバになった穴と性道徳には興味ねえんだよ。旬の秋茄子を突っ込んでやろうか。育て!マーボーナス!





ととのつまり俺たちはハメ撮りがしたいんだ。
誰しも心に小さなAV監督を飼っているのだから。
男の夢、壊さないでやってくれないか?












これは当時付き合っていた彼女とLINEしていた時のことである。



「次はちょっとハメ撮りとかしてみない?😜」


ドキドキしながら送信した数分後、彼女から一つのURLが送られてきた。



そこには彼女が顔を手で隠しながらも他人のちんこをねぶり回す動画がバッチリと収められていた。




彼女は言った。 




「これで満足したか?」 



...

..........

...................

.......................;...



くれぐれも「ハメ撮りがしたい」などと軽率に口に出してはいけない。 

僕のように深いトラウマを残すことになりかねないのだから。







オナニーに纏わるエトセトラ




ただ今よりチンポによるシンポジウム、チンポジウムを開催する!!!(半年ぶり2回目)





中高の僕たちと言えば性に芽生え、女性とは未知の集合体、ファンタジーの存在であった。







_______そして女。
 

その尿はエビアンより澄んでおり放屁からはフレグランスとフローラルを掛け合わせた芳醇なかほり
女という未知との遭遇に対し僕たちの妄想は無限に広がり始める




そしてその存在と唯一向き合えるのがオナニーだった、そこにはただおちんちんを気持ちよくしたいというだけではなく、未知に対して唯一触れる事のできるどこか背徳的で甘美な気概があった。


未知という暗闇の中を手探りで探しイデアの洞窟を照らそうとするその日常にはどこか風光明媚な「煌めき」みたいなものがあった。


青春と呼ぶには程遠い水色に薄まったその歴史がそこにはあったはずなのだ。





だが現在はどうだろうか、女とはファンタジーやSFの類ではなくなった、暴かれた世界では尿も放屁もウンコだってする。ましてや股からは月イチで血が流れるらしい ヤバすぎる しかも血が出ないともっとヤバいのだという おわってる




現実に打ちのめされた僕たちは今日もエロサイトのランキングを眺めただ与えられる餌を待つだけの家畜のように作業的に股間を弄る。







そこにはかつての「煌めき」はない。






皆さん 適当に生きてませんか?







俺はあの日々を何度だって試行錯誤する。





ー 命かけてと誓った日から ー

思い出は思い出のままだからこそ良いっていうのか?



ーー あの時 同じ花を見て 美しいといった ーー

過去に思いを馳せては写真のようにセピア色になり
エレジーに浸る




ーーー 二人の心と心が ーーー





ーーーーー 今はもうかよわない ーーーーー






ーーーーーあの素晴しい愛をもう一度ーーーー


ーーーーーあの素晴しい愛をもう一度ーーーー




AVを借りよう


そう思った。



「AVを借りる」この行為が如何に非効率的で時代に逆進的なのか淑女の皆様にお分り頂けるだろうか?


そもそもAVなんてものはネットの大海を軽く犬掻きすればいくらでも見放題である。ましてやランキングを見れば人気のいわゆるシコリティが高いものなんて豪雨の中 口を開けて上を向いてるが如く容易に流れ込んでくる。



このAV大国日本における常套手段である、義務教育を受けずともスマートフォンを手に入れた男子高校生たちは生まれたての子ヤギが誰からも教わらず立ち上がるよう自然と身につく。遺伝子に焼き付いてんのさ





だからこそ、だからこそなのである。


俺たち成人男性がゾンビのように虚ろな目で作業的に股間を弄る日々を送るという実情はこのAV大国日本が生んだ弊害なのである。





つまりだ、「AVを借りる」それは即ち、わざわざそんなものに時間と金をかけることによってあの素晴らしい日々をもう一度って訳よ


前回の記事で「オナニーとは射精という終着点は誰しも同じであるがそこに至るまでの過程こそがオナニーの質を決める」そんなことを言った。





新幹線ではなくあえて路線電車で数時間あてもなく旅に出て、次はどこへ行こうとパンフレットを開くあの旅愁を...





あえて混んでいる店に並んで料理を待つ高揚感と空腹感というスパイスを...





「AVを借りる」その行為に対して僕たちは死を賭して挑む。

我々の性に対する執着心は凄い 痴漢して人生終わらす奴がいるのだ。それくらい業は深く色の奴隷なのだ。





パッケージ詐欺を疑い入念に探すもヨシ





己の欲望と直感を信じて愛のままに我がままに選ぶもヨシ





あえて女性の店員にオススメを聞くもヨシ それで捕まっても悔いはない訳はない 死を賭しても他人に迷惑をかけるのはやめましょう





 例えそれで視聴した際に顔面がシーラカンスのような女優を引いたり、声がやけに酒やけしていたり、昔好きだったあの子や元彼女が出ていたとしても、決して自分を責めてはいけない。


それでもいい、今日の俺はチャレンジャーだった!そうやって自分を褒めるべきだ。 
元カノが出演してたのなら次は親族が出演しているAVを探してみよう! そういった切り替えも必要である。




夏目漱石の「こころ」でこんな一説がある。


「精神的に向上心の無い物は馬鹿だ」


これは即ち、一度目の失敗は良い  肝心なのはそこからどうやって自分が成長して行くかということである、いつまでも同じ所に立っていてはいけない俺たちは進まなければ 若さとは即ち『振り向かないこと』なのであるから。



さあ始めよう、そして取り戻そう。あの日の僕らの輝きを、本当の意味でのオナニーを。


そんな僕らのことを無様、滑稽だと揶揄する向きもあるかもしれない。しかし、それがどうだというのだ。僕らを指差して笑う奴らがいるのなら、それが俺たちにとって最高の褒め言葉だ全力で笑ってやればいい。



時より、大事な何かを失うこともあるかもしれない。
二つしかない僕らの手はそんなに多くの物を掴めない。 右手でチンポを掴み左手でティッシュを掴む。 何かを掴んだまま新たなものを掴めない事は分かってる それでも俺は俺たちはひたすらに、まっしぐらに、盲目的に進んでいく







そこで見える景色ってのはどんなんだろうな?








現実はそんなに綺麗じゃない でも汚いからこそ現実なのかもしれない。


11月 下秋。




いいねとNTR




かれこれブログを書き始めて半年アクセス数が4000を超えたらしい


柄にもなくツイッターで宣伝してみたり、youtubeのサムネを想起させる題名にしてみたり、性病だの自分の性経験を切り売りし、誰に書けと頼まれたでもない毎日の罵詈雑言をつらつらと述べ偉そうに上から御託を並べ立てたどうしようもないゴミをネットの大海に漂流させ続けた甲斐がありました


その上で最近ふつふつと湧き上がるものがある。

ただタイムカードを如何に早く差し込み昼休憩を万時間いっぱいとるかについて考える日々の中で、ブログのアクセス数や呟きについたいいねの数でしか一喜一憂出来ない自分の浅ましさが日に日に増している。

どうしようもない俺のどうしようもなさが加速の一途を止まないのだ。



今日フォロワー達と飲んでいた時の事である。

彼等と飲むと必ずと言っていいほど とある話題になる




「自分のツイートが伸びないのはさておき、アイツのツイートがここまで伸びるのはおかしい」





否、彼だけではない ネタツイッタラーと呼ばれる人達と会うと必ずと言っていいほどこの話題になる。


自らが何処の誰とも知らない人にユーモアを押し売りしておきながら、その知らない誰かがしたいいねに文句を垂れ流す 

「テメェ!俺のユーモアに合わせて他の人もいいねしろボケ!」

と見知らぬ人に殴りかかる狂気的な、一種の恐喝ともとれるその議題は打率100%で場の熱をあげ、酒の進む歩幅も競歩並みに進んでいく。


だが実際に死ぬほど見下している奴がフォロワー数という絶対数で自分の横を颯爽と駆け抜けていくのを幾度なく眺めて来た、


「なんであいつが....」

高校時代好きだった純情なあの子がヤンチャなあいつと付き合いドス黒くなったチンポを魂の燃え尽きるような表情でねぶり回しているという噂を聞き、告白するまでもなく失恋していくあの状況が...!!!


あの「なんであいつが....」の呪縛から解かれないのだ。



そんなものは嫉ましさと羨ましさの当てつけに過ぎない、彼等は彼等なりに重ねてきた行動の結果であり俺がどうこう言おうと結果主義的結論から数字を出している方が正義なのである。


ただ己の実力不足の逃避に過ぎないが、素直に受け入れるほど安いものでもない。



もし仮に彼等を認めてしまったとしよう


ずっと自分が正しいと信じてきた事はどうなる?


今までの積み重ねた時間や労力は?


彼等を認めてしまえばそれから先、俺はもう歩けなくなってしまう





時にこのようにイジけると


「私はヒト蓄さんの書く文好きだけどな...」


なんて感じの慈愛に満ちた言葉をかけてくださる方がいるが、

俺が欲しいのは義務的におざなりなフォローではなく、他の追随を許さない絶対的な賛美と殺人以外何をしても擁護してくれるような情実である。



手っ取り早く言うと囲いが欲しい




何を呟いても「よくわかんないけどこの人の呟きなら面白いってことよね〜(いいねポチィ)」

と言った具合に、脳味噌空っぽで俺がチンポを出したらむしゃぶりつきながら

「ひほひふはんひょうほほほひろいへふへ(ヒト蓄さん今日も面白いですね)」

......と言って欲しいのである。





時に、つまらない奴からいいね貰っても何の意味もないと語る輩がいる。 


わかる


わかる!


わかるよその気持ち!

いいね貰うと嬉しい人っているもんね!

わかるけどその上で俺はただ傾倒的ないいねが欲しい!もういい! それでいい! 本部以蔵でいい!






ただ、、、ただ俺は、、、








チヤホヤされたいだけなんだ....




音楽

 

 

 
 
24歳になりました
たまには好きなものの話をします
 
 
 
何かもうあれです全部いい 
 
どんな好きなバンドもハズレ曲とかあると思うんですけど8ottoはもうマジで全部いい 
 
全部が全部いい 3年くらい聞いてるんですけど全部が良すぎてどれがどの曲か音と曲名が未だに一致しません でも全部いいのでいいのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
Yellow studs
 
 
ピアノボーカルとウッドベースでジャズっぽいお洒落な感じなのにボーカルがチバユウスケばりの嗄れ声で妙な調和をみせています。
 
ですが鬱病のせいで歌詞が死にたいとか何で売れへんのみたいなのばっかなのでとても沁みます。
 
MCもツイッターのいいねが最近伸びないとか2chで叩かれたとかの話しかしません。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人に勧めてもキモい以外の感想が返ってきません
 
女装のマッシュヘアーがクネクネしながら叫んでるバンドです 
 
いやぁキモいなぁ~ キモいキモキモのキモです 
でもちゃんと見てみるとやっぱりキモい 二度見でキモい 凄い好き
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Veni Vidi Vicious
 
 
何て読むのか未だに分からないです。 
 
でも誰も聞いてる人会った事ないので言葉にして発する機会もないので特に困りません。
 
そもそも僕の好きな音楽は大学生が聞くやつって言われて誰も僕と音楽の話をしてくれないので一生このバンドの読み方を知る機会はないと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
10年くらい前にネットで遊戯王をしていた友達が時代を象徴する伝説的なバンドって教えてくれたのですが多分嘘だったんだと思います。 
 
嘘ついてまで聞いて欲しかっただけあって今聞いても全然飽きないな 
 
いいなこれは いいな いい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ボーカルがラジオで俺たちの曲は演奏は普通だけど歌詞の表現だけは一味違う的な事を言ってましたがあまり滑舌が良くないので初見では歌詞が聞き取れないというジレンマを抱えているバンドです。
 
 カルト的なファンがいるのか新譜が出る度に歌詞の意味考察が行われているのでインディーズ界のアボカド6と呼んでいます。 
 
普通にかっこいいと思います。
 
 
 
 
 
 
The Jerry
 
 
ボーカルがなんかブログかネットの何かで一山当てたらしくツイッターアフィリエイトとか寝てる間にお金稼げるのはいいですよみたいな事を言うようになってしまってイヤだなぁ~~~~~って思ってたんですけど曲がいいのでずっと聞いてます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こころとからだ 人間のぜんぶ オリンパス
 
 
合掌
 
 
 

 

水のこころ 童貞のこころ





童貞とは未だに性経験のない男性の総称である。



昨今では童貞とはかなりの少数派と語られるが果たしてそうなのだろうか?世を見渡せば童貞っぽいやつなんて大学を見渡せば億万といる


大学で小銭を拾う感覚で性経験を終え口を開けば女オンナのアイツもどこかあどけなさが臭い、童貞とはいわば一種の呪詛そんなんじゃ浄化できない


童貞とは一時的な経験による卒業はきっと不可能である。もっと内面からくる精神的な成長の事であろう。


ここで一つの疑問が生じる


「出来るけどしなかった それは童貞か?」


出来るけどしなかった。

ヤレるけどヤラなかった。

オマンヌをペロリンチョしてズコバコヌできたけどオマンヌをペロリンチョしてズコバコンヌしなかった。


これは果たして本当に童貞なのだろうか?


思うに童貞には2種類に分かれる。

やりたいが相手がおらず出来ない can’t の童貞

そして、やれるけどやらなかったdon’t の童貞である


Can’t の童貞については世に言う総称的な童貞でありその全員が全員 風俗で童貞を捨てるというもう一つの成人式を人生の中で抱える。


では、自ずから選択して童貞を選ぶdon’t の童貞を果たして十把一絡げにして童貞と呼ぶにはあまりにおざなりではないか?


ここで一つ勘違いをして欲しくないのはただ単に勇気がなく女性を誘えず機会があったにもかかわず逃した男性、サシで飲み隣同士で歩く距離が縮まり手の甲が当たる度にどこか心が揺れる、そんな刹那に「俺の家来ない? 犬飼ってるんだけど。」の一言が言えなかった者についてはdon’t ではなく間違いなくcan’t の童貞に該当するであろう。
犬を飼うといいと思います。



言いたいのはもっと人間の本能である性に逆らってSEXを選択しない者が間違いなく小数点的な都市伝説、UMA、一定数存在するという現実である


ネッシー、ユキオトコ、チュパカブラ、don’t の童貞

こう並べても全くの違和感がない。



今の日本語ではこのdon’t の童貞を称する言語が学術的にも名付けられておらず日本語の豊かな表現を用いても、わびさび、もったいない、もののあはれといった具合に表すことができない。歴史的学術の敗北である。



そんなdon’t の童貞についてどういった心境でそこにたどり着いたのか考えてみよう



恐らく我々は何か選択をする際に天秤にかける
どちらがより自分にとって利益を齎すのであるか
そういった利得の天秤にかける。


そこで ヤる ヤらないを天秤にかけた際にヤらないを選択する何らかのファクターが存在する者ぞれがdon’t の童貞の正体である。



彼らがヤる ヤらないの際に天秤にかけるものは、金銭的にもったいないそんなヤワなものだけではない。


コンビニでコンドームをスマートにレジに持っていき女性をホテルへ自然にエスコートし未知のラブホに対しパネルで無難な部屋を選択し気まずい空気の中当たり障りのない会話をしつつ部屋にたどり着いたら電気や照明をそれっぽい明度にした上で更に己のトークでムーディな空気にした上でやっとの思いで彼女に触れるもAVで得た知識だけで当たり障りない事なき主義的なコトを済ませつつカタコトにならないピロートークを語る事ができるであろうか。


そんなものを天秤にかけた日にはヤるという質量では到底に耐えることはできない。




そして彼等は口を揃えてこう言う




「はじめては好きな人」





なんと愚 ここまで純粋な愚は見たことがない
シドーやゾーマの世界征服なんて可愛いものである
この童貞達は好きな人でなければこれ等一連の動作をなんなくこなすに値しないというのである。



このブログを読んでくださる淑女の皆様へ、童貞の人に出会ったら聞いてみて欲しい「ただ単に機会に恵まれなかった」そう答える童貞は正常である風俗を勧めてあげよう。
「はじめては好きな人」このワードを出してくる奴に関わってはいけない 絶対にイケナイ 脳のどこかがバグっているのだから、もしこの種の人間と付き合って性経験をしようものなら SEXへのハードルが下がった此奴らは十中八九あなたのことを捨てて今までの反動から物凄いのめり込み方をする 関わっちゃいけないんだ。



大学時代ずっとはじめては好きな人が口癖だったヒト畜お兄さんとのお約束だ。











オナニー原理主義

ここにチンポによるシンポジウム、「チンポジウム」を開催する.....‼︎‼︎


我々男性はいつだってそうだ、如何にちんちんを気持ち良くするかに脳の9割を費やしている。

 あるものは己の左手を愛し またあるものはあらゆる道具を用いて道の扉を開く。 そうして人類はまた一つまた一つイデア界へと歩を進めて行く。


かくいう中高時代の俺たちには暗黙の中で一つルールがあった。


「道具を使ったら負け」


オナホやローションなどそういった性のために作られた道具を使うのはダサい。そういった共通認識が確かにあった。



我々人類がこの地球で生き残れた最たる理由は何と言っても知能であろう。そして道具とはその知能を具現化したものであり、道具があったからこそ人類は獣を狩り寒さを凌ぎ今の今まで繁栄をしてきた。


その人類の最たる武器「道具」を捨てる事 それは究極的原始回帰を意味する。


そう、原始に立ち返ることによってより人間の本能である「性」と立ち向かおうという試みである。オナニー原理主義の始まりだ。


 嘘である。本当は金がなかった俺たちは如何に金を使わずにちんちんを気持ちよくするかという事に青春の全てを捧げただけだ。





中学の友達、竹やんは言った。


床オナこそ至高である。  




男性諸君なら一度は試したことがあるであろう床に陰部を擦りつける事によりエクスタシーを高めるアレであるが、周知の通りアレは今ひとつ快感の度数が低く、より上を見据えた我々にとってそんなんじゃ扉は開かない。



床オナには利点があるんだよ、それはリビングで親や妹を前にさり気なく出来る事だ。


そうするとドキドキしてめっちゃ勃つ




衝撃である。如何におちんちんに物理的作用を働かせるかという俺たちの考えから、武田はそこに心理的作用というとんでもないスパイスをふりかけたのだ。


だが一つ問題がある、どうやって射精するのか これは大問題だ。 


俺: 竹やん、どうやって射精までいくの...?



竹: そりゃソッとトイレに行って左手でシコシコドピュよ。



ふざけるな、竹内

我々オナニスト達は方法は違えどゴールは一つ、その登り方に人それぞれの美しさや人間味がでる。
だがしかし、どれだけ美しい登り方をしようがゴールがそれでは台無しである。


そんな俺たちを前に竹内は待ってましたとばかりにニヤリと口を開く





床オナはな、「「「前戯」」」なんだよ




一同 衝撃が走る。
 彼はオナニーという独りよがりに「前戯」という行為を付け加えたのだ、コペルニクス的転回である。


前提が崩壊した瞬間であった。 竹内というこの男は若干14歳にして我々のオナニーに羞恥という色を与えるだけではなく前戯という心までも与えたのである。

しばらく学校では床オナが一世風靡するという異常事態が蔓延した。


 負けてはいられない 俺たちも俺たちもと誰もが竹やんに続いて自らのオナを見つけるため試行錯誤し性の海へ旅立つ。


ゴールド・D・竹やん「さがせぇ!!! この世の全てをそこに置いてきた!」





世はまさに大航海時代である。



そして次に続いたのが俺だ。

俺が辿り着いた至高のオナニーは、手をお尻の下に入れ踏み続ける事で麻痺させ感覚のない手でシコる事によってまるで手コキされてる状態を再現する事ができるのである。


麻痺の英語訳「palalysis」とかけてこれはパラニーと呼ぶ事にした。


どこまで行っても所詮は男である。SEXという未知への興味は凄まじいものであり、 オナニーをよりSEXへと近づける事それは我々オナニストの目指す一つのゴールなのである。 
 そのSEXに最も近づいたのがこのパラニーである。


いや、これが手コキかどうかなんて知らない 何故なら誰も本物の手コキを味わったことがないのだから。

だがそんな事は関係ない。 これは手コキだ!!!!これは手コキだ!!!そう全員で叫ぶその瞬間俺たちはあのペルセウス座より輝いているじゃないか。





だがパラニーは後に 悲劇を生む事になる。





いつものようにPCでアダルト動画を見ながら手を尻の下に置いて血の気を引いていく、さぁ準備はできた、GOGOGOGOGOGO!!!!!!!



(ガチャ)



唐突に親が帰ってきたのである、生憎PCはリビングの中央に設置されており親がここにたどり着くまで15秒、脳が急いでブラウザを閉じズボンを履けと命令する。




現実は非情である。 





麻痺した指が一本も動かず焦ってマウスを握ることすらできない。




余計に焦る 止まらない冷や汗 




せめてズボンだけどもと持ち上げようとするが指一本動かない。



残りの3秒を使って僕は神に祈るしかなかったのだ。








 嗚呼 人間は無力である。 



人は何故争う? 憎しみや憎悪は何故うまれる?



生まれ変わったら私はセミになりたい。 



一生の9割を土の中で過ごし最期の一週間を精一杯地上で叫ぶんだ 



俺はここにいる 俺は生きているぞ と。



僕の人生が終わった瞬間であった。





しばらくすると校内で似たような体験が蔓延しパラニーは失う代償がでかすぎるとまるで諸刃のような扱いを受ける事になる。
 それでも俺たちはやめない。 諦めが人間を後退させるのだ。 前進に犠牲はつきものだとね。



ある日チンコの黒くなったヤリチンサッカー部の奴が言った。 


ラニーしたけど手コキと全然違うわ



こうして俺の時代は瞬く間に終幕した。




 俺たちは限界だったのかもしれない。 発想の限界を迎えた僕たちは、コンニャクやオリーブオイルを使い始める。 


これは「道具」じゃないかって? 
否 違う、これは性のために作られたものではなく、ダメな事をしている背徳感がダンチなのさ。

やがて原理主義は廃れ 時代はオナニー世俗主義の始まりである。 




さぁ夜明けは近い。


一緒にそのオールを漕いでくれないか?








性に優劣なんてものは存在しない。


釈迦の言葉にこんなことばがある

「生死を越えた求道者に、階級の差別などありはしない。」


 俺たちは知っている決して世の中は平等なんかじゃないと。 


なんの不自由もしない奴らが今日も言うんだ、みんな平等だって、差別を押し付けるのはいつも優位な奴らだけさ


不憫を押し付けられて生きてきた側だろう俺もお前も


だからこそ俺たちぐらい優劣つけずに生きていかないかい?





10人いれば10のオナニーがある。 



____私が左手でこすっても


_________床オナの前戯はできないが


______________床オナは私のように


___________________地面を早くは走れない




____左手をどれだけこすっても


______バイブの振動はでやしないが


______________あのバイブは私のやうに


_________________たくさんの唄は知らないよ






みんな違って。みんないい。

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