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かれこれブログを書き始めて半年アクセス数が4000を超えたらしい


柄にもなくツイッターで宣伝してみたり、youtubeのサムネを想起させる題名にしてみたり、性病だの自分の性経験を切り売りし、誰に書けと頼まれたでもない毎日の罵詈雑言をつらつらと述べ偉そうに上から御託を並べ立てたどうしようもないゴミをネットの大海に漂流させ続けた甲斐がありました


その上で最近ふつふつと湧き上がるものがある。

ただタイムカードを如何に早く差し込み昼休憩を万時間いっぱいとるかについて考える日々の中で、ブログのアクセス数や呟きについたいいねの数でしか一喜一憂出来ない自分の浅ましさが日に日に増している。

どうしようもない俺のどうしようもなさが加速の一途を止まないのだ。



今日フォロワー達と飲んでいた時の事である。

彼等と飲むと必ずと言っていいほど とある話題になる




「自分のツイートが伸びないのはさておき、アイツのツイートがここまで伸びるのはおかしい」





否、彼だけではない ネタツイッタラーと呼ばれる人達と会うと必ずと言っていいほどこの話題になる。


自らが何処の誰とも知らない人にユーモアを押し売りしておきながら、その知らない誰かがしたいいねに文句を垂れ流す 

「テメェ!俺のユーモアに合わせて他の人もいいねしろボケ!」

と見知らぬ人に殴りかかる狂気的な、一種の恐喝ともとれるその議題は打率100%で場の熱をあげ、酒の進む歩幅も競歩並みに進んでいく。


だが実際に死ぬほど見下している奴がフォロワー数という絶対数で自分の横を颯爽と駆け抜けていくのを幾度なく眺めて来た、


「なんであいつが....」

高校時代好きだった純情なあの子がヤンチャなあいつと付き合いドス黒くなったチンポを魂の燃え尽きるような表情でねぶり回しているという噂を聞き、告白するまでもなく失恋していくあの状況が...!!!


あの「なんであいつが....」の呪縛から解かれないのだ。



そんなものは嫉ましさと羨ましさの当てつけに過ぎない、彼等は彼等なりに重ねてきた行動の結果であり俺がどうこう言おうと結果主義的結論から数字を出している方が正義なのである。


ただ己の実力不足の逃避に過ぎないが、素直に受け入れるほど安いものでもない。



もし仮に彼等を認めてしまったとしよう


ずっと自分が正しいと信じてきた事はどうなる?


今までの積み重ねた時間や労力は?


彼等を認めてしまえばそれから先、俺はもう歩けなくなってしまう





時にこのようにイジけると


「私はヒト蓄さんの書く文好きだけどな...」


なんて感じの慈愛に満ちた言葉をかけてくださる方がいるが、

俺が欲しいのは義務的におざなりなフォローではなく、他の追随を許さない絶対的な賛美と殺人以外何をしても擁護してくれるような情実である。



手っ取り早く言うと囲いが欲しい




何を呟いても「よくわかんないけどこの人の呟きなら面白いってことよね〜(いいねポチィ)」

と言った具合に、脳味噌空っぽで俺がチンポを出したらむしゃぶりつきながら

「ひほひふはんひょうほほほひろいへふへ(ヒト蓄さん今日も面白いですね)」

......と言って欲しいのである。





時に、つまらない奴からいいね貰っても何の意味もないと語る輩がいる。 


わかる


わかる!


わかるよその気持ち!

いいね貰うと嬉しい人っているもんね!

わかるけどその上で俺はただ傾倒的ないいねが欲しい!もういい! それでいい! 本部以蔵でいい!






ただ、、、ただ俺は、、、








チヤホヤされたいだけなんだ....