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メンヘラとヤリマンの話




「余程の純愛でない限り後輩に手を出すのは甘え」



彼とは知り合ってもう4年近くなる。 大学で知り合い取り留めのない話をして気付いたらそれだけの時間が経っていた。


 そんなハエのたかる縁にもなる友人が偉そうに「純愛」について語ってきた。


後輩に手を出す行為に対して「不純」などと言うのであれば世の恋沙汰などは9割9分9厘腐り落ちるじゃないか。




SNSにいるメンヘラとかに手を出すやついるだろ あれも甘えだ」


まぁ分からんでもない、でもそんな事を口にするのは野暮ってやつである。需要と供給の一致によりメンヘラ達が神の見えざる手マンにより潮を吹くことで今日も市場経済は調整されると国富論にも書いてあるじゃないか。

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「でもな、ヤリマンっているだろ? あれに手を出すのは純愛だ」


メンヘラに手を出すのが不純でヤリマンは純愛?一体どういう事だ。ついにトチ狂ったか。

そもそも「メンヘラ=ヤリマン」という重力が見つかる前から続くこの世の絶対摂理があることから、成り立たない事が明白である。





「まぁ聞けよ。 【メンヘラ=ヤリマン】これは確かに正しい。 だけど【ヤリマン=メンヘラ】これは間違ってないか? セックスをスポーツの一種みたいに考える人とか、矢口真里はメンヘラじゃないだろ」



《それでも地球は廻っている》



地球が中心ではなく太陽が中心であるように、天が動いているのではなく地面が動いてるのと同じように、【メンヘラ=ヤリマン】という説はコペルニクス的転回を迎え音を立てて崩れ落ちた。 平成のガリレオ爆誕である。




これによって「ヤリマンに手を出すのは純愛説」が完全には否定し切れなくなってきた。 しかしどういう理屈なのであろうか?



「ヤリマンとメンヘラってのは結論から言えばSEXにたどり着くってのは同じだ。しかしその過程が全く違う。」


彼は語る


「ヤリマンってのは言わば性悪説だ。野生的な狩りによって標的に狙いを定め狙った相手に食いつき貪り食う」


ホッブズは言った、人間は本来利己的な存在であると、チンコを思う存分ふるいにふるい万人の万人による闘争の開始である 彼の著書、リヴァイアサンとはそそり立つ男根を海の怪物に例えているのがよくわかる。

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「メンヘラってのは言わば性善説よ。倫理を保ちながらもツイッターにそれっぽい素振りを撒いて、男を一本釣りにする」


ロックは言った。「人間の自由を侵してはならない」と、自然法的な立ち位置に立ち あくまで釣られるかどうかは男側に託されている。こうしてメンヘラに食い尽くされたイギリスは心身喪失により名誉革命が成立した。メンヘラ万歳

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ロックのこの搾り取られた顔ね







ちょっと待ってだからといってなんなのだ。ヤリマンが純愛ってことにはならなくない!? ていうか今回ちょっと無理ない!?





彼は言う、


「人間ってのは性悪説に決まってるんだよ。 世の中、ヤリマンと公言すれば魔女裁判のように吊るし上げられるがネットを見れば馬鹿みたいにオマンチン(1.)で染まってるじゃねえかよ」

1.オマンコとオチンコのこと




「だからこそ己の欲に忠実なヤリマン達ってのは一切の不純物のない完全に純粋な愛こと純愛なの!ていうか俺がそう言ったらそうなの!」





わかった、わかった   今日はやたらと無理やり正当化させるじゃないか、何かあったんですか。







「この前性病になったんだけど、性病貰った相手と付き合うことになった。これは純愛だよな?」








そう言い残して僕は帰路に立つ。





これも愛


あれも愛