いいねとNTR
かれこれブログを書き始めて半年アクセス数が4000を超えたらしい
柄にもなくツイッターで宣伝してみたり、youtubeのサムネを想起させる題名にしてみたり、性病だの自分の性経験を切り売りし、誰に書けと頼まれたでもない毎日の罵詈雑言をつらつらと述べ偉そうに上から御託を並べ立てたどうしようもないゴミをネットの大海に漂流させ続けた甲斐がありました
その上で最近ふつふつと湧き上がるものがある。
ただタイムカードを如何に早く差し込み昼休憩を万時間いっぱいとるかについて考える日々の中で、ブログのアクセス数や呟きについたいいねの数でしか一喜一憂出来ない自分の浅ましさが日に日に増している。
どうしようもない俺のどうしようもなさが加速の一途を止まないのだ。
今日フォロワー達と飲んでいた時の事である。
彼等と飲むと必ずと言っていいほど とある話題になる
「自分のツイートが伸びないのはさておき、アイツのツイートがここまで伸びるのはおかしい」
自らが何処の誰とも知らない人にユーモアを押し売りしておきながら、その知らない誰かがしたいいねに文句を垂れ流す
「テメェ!俺のユーモアに合わせて他の人もいいねしろボケ!」
と見知らぬ人に殴りかかる狂気的な、一種の恐喝ともとれるその議題は打率100%で場の熱をあげ、酒の進む歩幅も競歩並みに進んでいく。
だが実際に死ぬほど見下している奴がフォロワー数という絶対数で自分の横を颯爽と駆け抜けていくのを幾度なく眺めて来た、
「なんであいつが....」
高校時代好きだった純情なあの子がヤンチャなあいつと付き合いドス黒くなったチンポを魂の燃え尽きるような表情でねぶり回しているという噂を聞き、告白するまでもなく失恋していくあの状況が...!!!
あの「なんであいつが....」の呪縛から解かれないのだ。
そんなものは嫉ましさと羨ましさの当てつけに過ぎない、彼等は彼等なりに重ねてきた行動の結果であり俺がどうこう言おうと結果主義的結論から数字を出している方が正義なのである。
ただ己の実力不足の逃避に過ぎないが、素直に受け入れるほど安いものでもない。
もし仮に彼等を認めてしまったとしよう
ずっと自分が正しいと信じてきた事はどうなる?
今までの積み重ねた時間や労力は?
彼等を認めてしまえばそれから先、俺はもう歩けなくなってしまう
時にこのようにイジけると
「私はヒト蓄さんの書く文好きだけどな...」
なんて感じの慈愛に満ちた言葉をかけてくださる方がいるが、
俺が欲しいのは義務的におざなりなフォローではなく、他の追随を許さない絶対的な賛美と殺人以外何をしても擁護してくれるような情実である。
手っ取り早く言うと囲いが欲しい
何を呟いても「よくわかんないけどこの人の呟きなら面白いってことよね〜(いいねポチィ)」
と言った具合に、脳味噌空っぽで俺がチンポを出したらむしゃぶりつきながら
「ひほひふはんひょうほほほひろいへふへ(ヒト蓄さん今日も面白いですね)」
......と言って欲しいのである。
時に、つまらない奴からいいね貰っても何の意味もないと語る輩がいる。
わかる
わかる!
わかるよその気持ち!
いいね貰うと嬉しい人っているもんね!
わかるけどその上で俺はただ傾倒的ないいねが欲しい!もういい! それでいい! 本部以蔵でいい!
ただ、、、ただ俺は、、、
チヤホヤされたいだけなんだ....
音楽
24歳になりました
たまには好きなものの話をします
何かもうあれです全部いい
どんな好きなバンドもハズレ曲とかあると思うんですけど8ottoはもうマジで全部いい
全部が全部いい 3年くらい聞いてるんですけど全部が良すぎてどれがどの曲か音と曲名が未だに一致しません でも全部いいのでいいのです。
Yellow studs
ですが鬱病のせいで歌詞が死にたいとか何で売れへんのみたいなのばっかなのでとても沁みます。
人に勧めてもキモい以外の感想が返ってきません
女装のマッシュヘアーがクネクネしながら叫んでるバンドです
いやぁキモいなぁ~ キモいキモキモのキモです
でもちゃんと見てみるとやっぱりキモい 二度見でキモい 凄い好き
Veni Vidi Vicious
何て読むのか未だに分からないです。
でも誰も聞いてる人会った事ないので言葉にして発する機会もないので特に困りません。
そもそも僕の好きな音楽は大学生が聞くやつって言われて誰も僕と音楽の話をしてくれないので一生このバンドの読み方を知る機会はないと思います。
10年くらい前にネットで遊戯王をしていた友達が時代を象徴する伝説的なバンドって教えてくれたのですが多分嘘だったんだと思います。
嘘ついてまで聞いて欲しかっただけあって今聞いても全然飽きないな
いいなこれは いいな いい
ボーカルがラジオで俺たちの曲は演奏は普通だけど歌詞の表現だけは一味違う的な事を言ってましたがあまり滑舌が良くないので初見では歌詞が聞き取れないというジレンマを抱えているバンドです。
カルト的なファンがいるのか新譜が出る度に歌詞の意味考察が行われているのでインディーズ界のアボカド6と呼んでいます。
普通にかっこいいと思います。
The Jerry
ボーカルがなんかブログかネットの何かで一山当てたらしくツイッターでアフィリエイトとか寝てる間にお金稼げるのはいいですよみたいな事を言うようになってしまってイヤだなぁ~~~~~って思ってたんですけど曲がいいのでずっと聞いてます。
こころとからだ 人間のぜんぶ オリンパス
合掌
水のこころ 童貞のこころ
童貞とは未だに性経験のない男性の総称である。
昨今では童貞とはかなりの少数派と語られるが果たしてそうなのだろうか?世を見渡せば童貞っぽいやつなんて大学を見渡せば億万といる
大学で小銭を拾う感覚で性経験を終え口を開けば女オンナのアイツもどこかあどけなさが臭い、童貞とはいわば一種の呪詛そんなんじゃ浄化できない
童貞とは一時的な経験による卒業はきっと不可能である。もっと内面からくる精神的な成長の事であろう。
ここで一つの疑問が生じる
「出来るけどしなかった それは童貞か?」
出来るけどしなかった。
ヤレるけどヤラなかった。
オマンヌをペロリンチョしてズコバコヌできたけどオマンヌをペロリンチョしてズコバコンヌしなかった。
これは果たして本当に童貞なのだろうか?
思うに童貞には2種類に分かれる。
やりたいが相手がおらず出来ない can’t の童貞
そして、やれるけどやらなかったdon’t の童貞である
Can’t の童貞については世に言う総称的な童貞でありその全員が全員 風俗で童貞を捨てるというもう一つの成人式を人生の中で抱える。
では、自ずから選択して童貞を選ぶdon’t の童貞を果たして十把一絡げにして童貞と呼ぶにはあまりにおざなりではないか?
ここで一つ勘違いをして欲しくないのはただ単に勇気がなく女性を誘えず機会があったにもかかわず逃した男性、サシで飲み隣同士で歩く距離が縮まり手の甲が当たる度にどこか心が揺れる、そんな刹那に「俺の家来ない? 犬飼ってるんだけど。」の一言が言えなかった者についてはdon’t ではなく間違いなくcan’t の童貞に該当するであろう。
犬を飼うといいと思います。
言いたいのはもっと人間の本能である性に逆らってSEXを選択しない者が間違いなく小数点的な都市伝説、UMA、一定数存在するという現実である
こう並べても全くの違和感がない。
今の日本語ではこのdon’t の童貞を称する言語が学術的にも名付けられておらず日本語の豊かな表現を用いても、わびさび、もったいない、もののあはれといった具合に表すことができない。歴史的学術の敗北である。
そんなdon’t の童貞についてどういった心境でそこにたどり着いたのか考えてみよう
恐らく我々は何か選択をする際に天秤にかける
どちらがより自分にとって利益を齎すのであるか
そういった利得の天秤にかける。
そこで ヤる ヤらないを天秤にかけた際にヤらないを選択する何らかのファクターが存在する者ぞれがdon’t の童貞の正体である。
彼らがヤる ヤらないの際に天秤にかけるものは、金銭的にもったいないそんなヤワなものだけではない。
コンビニでコンドームをスマートにレジに持っていき女性をホテルへ自然にエスコートし未知のラブホに対しパネルで無難な部屋を選択し気まずい空気の中当たり障りのない会話をしつつ部屋にたどり着いたら電気や照明をそれっぽい明度にした上で更に己のトークでムーディな空気にした上でやっとの思いで彼女に触れるもAVで得た知識だけで当たり障りない事なき主義的なコトを済ませつつカタコトにならないピロートークを語る事ができるであろうか。
そんなものを天秤にかけた日にはヤるという質量では到底に耐えることはできない。
そして彼等は口を揃えてこう言う
「はじめては好きな人」
なんと愚 ここまで純粋な愚は見たことがない
シドーやゾーマの世界征服なんて可愛いものである
この童貞達は好きな人でなければこれ等一連の動作をなんなくこなすに値しないというのである。
このブログを読んでくださる淑女の皆様へ、童貞の人に出会ったら聞いてみて欲しい「ただ単に機会に恵まれなかった」そう答える童貞は正常である風俗を勧めてあげよう。
「はじめては好きな人」このワードを出してくる奴に関わってはいけない 絶対にイケナイ 脳のどこかがバグっているのだから、もしこの種の人間と付き合って性経験をしようものなら SEXへのハードルが下がった此奴らは十中八九あなたのことを捨てて今までの反動から物凄いのめり込み方をする 関わっちゃいけないんだ。
大学時代ずっとはじめては好きな人が口癖だったヒト畜お兄さんとのお約束だ。
オナニー原理主義
ここにチンポによるシンポジウム、「チンポジウム」を開催する.....‼︎‼︎
我々男性はいつだってそうだ、如何にちんちんを気持ち良くするかに脳の9割を費やしている。
あるものは己の左手を愛し またあるものはあらゆる道具を用いて道の扉を開く。 そうして人類はまた一つまた一つイデア界へと歩を進めて行く。
かくいう中高時代の俺たちには暗黙の中で一つルールがあった。
「道具を使ったら負け」
オナホやローションなどそういった性のために作られた道具を使うのはダサい。そういった共通認識が確かにあった。
我々人類がこの地球で生き残れた最たる理由は何と言っても知能であろう。そして道具とはその知能を具現化したものであり、道具があったからこそ人類は獣を狩り寒さを凌ぎ今の今まで繁栄をしてきた。
その人類の最たる武器「道具」を捨てる事 それは究極的原始回帰を意味する。
そう、原始に立ち返ることによってより人間の本能である「性」と立ち向かおうという試みである。オナニー原理主義の始まりだ。
嘘である。本当は金がなかった俺たちは如何に金を使わずにちんちんを気持ちよくするかという事に青春の全てを捧げただけだ。
中学の友達、竹やんは言った。
床オナこそ至高である。
男性諸君なら一度は試したことがあるであろう床に陰部を擦りつける事によりエクスタシーを高めるアレであるが、周知の通りアレは今ひとつ快感の度数が低く、より上を見据えた我々にとってそんなんじゃ扉は開かない。
床オナには利点があるんだよ、それはリビングで親や妹を前にさり気なく出来る事だ。
そうするとドキドキしてめっちゃ勃つ
衝撃である。如何におちんちんに物理的作用を働かせるかという俺たちの考えから、武田はそこに心理的作用というとんでもないスパイスをふりかけたのだ。
だが一つ問題がある、どうやって射精するのか これは大問題だ。
俺: 竹やん、どうやって射精までいくの...?
竹: そりゃソッとトイレに行って左手でシコシコドピュよ。
ふざけるな、竹内
我々オナニスト達は方法は違えどゴールは一つ、その登り方に人それぞれの美しさや人間味がでる。
だがしかし、どれだけ美しい登り方をしようがゴールがそれでは台無しである。
そんな俺たちを前に竹内は待ってましたとばかりにニヤリと口を開く
床オナはな、「「「前戯」」」なんだよ
一同 衝撃が走る。
彼はオナニーという独りよがりに「前戯」という行為を付け加えたのだ、コペルニクス的転回である。
前提が崩壊した瞬間であった。 竹内というこの男は若干14歳にして我々のオナニーに羞恥という色を与えるだけではなく前戯という心までも与えたのである。
しばらく学校では床オナが一世風靡するという異常事態が蔓延した。
負けてはいられない 俺たちも俺たちもと誰もが竹やんに続いて自らのオナを見つけるため試行錯誤し性の海へ旅立つ。
ゴールド・D・竹やん「さがせぇ!!! この世の全てをそこに置いてきた!」
世はまさに大航海時代である。
そして次に続いたのが俺だ。
俺が辿り着いた至高のオナニーは、手をお尻の下に入れ踏み続ける事で麻痺させ感覚のない手でシコる事によってまるで手コキされてる状態を再現する事ができるのである。
麻痺の英語訳「palalysis」とかけてこれはパラニーと呼ぶ事にした。
どこまで行っても所詮は男である。SEXという未知への興味は凄まじいものであり、 オナニーをよりSEXへと近づける事それは我々オナニストの目指す一つのゴールなのである。
そのSEXに最も近づいたのがこのパラニーである。
いや、これが手コキかどうかなんて知らない 何故なら誰も本物の手コキを味わったことがないのだから。
だがそんな事は関係ない。 これは手コキだ!!!!これは手コキだ!!!そう全員で叫ぶその瞬間俺たちはあのペルセウス座より輝いているじゃないか。
だがパラニーは後に 悲劇を生む事になる。
いつものようにPCでアダルト動画を見ながら手を尻の下に置いて血の気を引いていく、さぁ準備はできた、GOGOGOGOGOGO!!!!!!!
(ガチャ)
唐突に親が帰ってきたのである、生憎PCはリビングの中央に設置されており親がここにたどり着くまで15秒、脳が急いでブラウザを閉じズボンを履けと命令する。
現実は非情である。
麻痺した指が一本も動かず焦ってマウスを握ることすらできない。
余計に焦る 止まらない冷や汗
せめてズボンだけどもと持ち上げようとするが指一本動かない。
残りの3秒を使って僕は神に祈るしかなかったのだ。
嗚呼 人間は無力である。
人は何故争う? 憎しみや憎悪は何故うまれる?
生まれ変わったら私はセミになりたい。
一生の9割を土の中で過ごし最期の一週間を精一杯地上で叫ぶんだ
俺はここにいる 俺は生きているぞ と。
僕の人生が終わった瞬間であった。
しばらくすると校内で似たような体験が蔓延しパラニーは失う代償がでかすぎるとまるで諸刃のような扱いを受ける事になる。
それでも俺たちはやめない。 諦めが人間を後退させるのだ。 前進に犠牲はつきものだとね。
ある日チンコの黒くなったヤリチンサッカー部の奴が言った。
パラニーしたけど手コキと全然違うわ
こうして俺の時代は瞬く間に終幕した。
俺たちは限界だったのかもしれない。 発想の限界を迎えた僕たちは、コンニャクやオリーブオイルを使い始める。
これは「道具」じゃないかって?
否 違う、これは性のために作られたものではなく、ダメな事をしている背徳感がダンチなのさ。
さぁ夜明けは近い。
一緒にそのオールを漕いでくれないか?
性に優劣なんてものは存在しない。
釈迦の言葉にこんなことばがある
「生死を越えた求道者に、階級の差別などありはしない。」
俺たちは知っている決して世の中は平等なんかじゃないと。
なんの不自由もしない奴らが今日も言うんだ、みんな平等だって、差別を押し付けるのはいつも優位な奴らだけさ
不憫を押し付けられて生きてきた側だろう俺もお前も
だからこそ俺たちぐらい優劣つけずに生きていかないかい?
10人いれば10のオナニーがある。
____私が左手でこすっても
_________床オナの前戯はできないが
______________床オナは私のように
___________________地面を早くは走れない
____左手をどれだけこすっても
______バイブの振動はでやしないが
______________あのバイブは私のやうに
_________________たくさんの唄は知らないよ
みんな違って。みんないい。
トラがバターになるくらい
「大学を卒業したら死ぬ」
俺の数少ない友人、松井の口癖だ。
彼とは大学で知り合い気づいたらずっと近くにいた、コイツはモテる。
それはもう漫画の世界か何かみたいなモテ方をする男だ。俺の周りの女性は同期から先輩後輩まで全てコイツに食い散らかされ、残っている異性と言えば母親くらいだ。親族に手をだされなかっただけ感謝しなければいけないくらいである。
今日も彼は言う「21で死ぬのが一番の正解だと言ったら会社の同期にめちゃくちゃ引かれた。あいつらはゴミだ。」
ああそうだなと適当に相槌を打つ。
社会に出たって何もないことは分かってるんだろう?それを無理やり理由つけて何もない日々を送るのはあまりにも奇僻だよな。
今日も行き場を失った言葉が飛び交う。
「チンコが1年間ずっと蛍光色に光る代わりに100万貰えるとしたらどうする?」
おいおいいきなり究極じゃないか、きっと蛍光色に光る陰部うっとおしいんだろう。だが最後の2、3日 蛍光色がとても愛おしくなって数日後には輝きを失うこいつにどこか切なさを感じるんだろうな。
なぁ?
俺たちで最後の数日は新宿のクリスマスツリーを飾らないか ギンギンに勃起した陰部を遠目にアホ共はノスタルジーに浸るって戦法よ。
夜は続く
「乳首を片方売るなら幾らで売る?」
「歩きながら飲んでたら一番かっこいいのは?」
「どこが性感帯だったら人生一番楽しいか?」
どうしようもない時間ってのは過ぎるのが早い このどうしようもない空間と時間がどうしようもなく好きだった俺たちはどうしようもなかったんだ
クリスマス当日、松井は当然女といる訳だがそんな事は関係ない 俺は言う
「行っていい?」
彼は言う
「いいよ」
男同士の単調なLINEの中には松井が彼女を俺が来るからという理由で帰らせていたなんていう大きなストーリーがある事は、俺が彼の家に行きエレベーターで松井の彼女とすれ違うまでは知る由もなかった。モテる男はやる事が違うね。
気の合う友人を何人か呼んだ。 全員予定を捨てて家に集まる。どうしようもない奴等だからだ。
そのうちの一人、森くんが大学を卒業したら芸人になると言い出した。
それは確かに俺たちは全員が全員自分を世界で一番面白いと思ってるが社会はそんな甘くないぞ?
社会を知らない俺たちが困惑して社会を盾にしてしまった。とてつもなくダサい。
彼はいう 「いや、ごめんもう事務所入った」
森、お前は世界一カッコいいよ。
そのあと「ダウンタウンさん」などと芸人をさん付けで呼ぶ彼の姿に俺たちは興奮を覚えた。
R1にでたネタを何度もやらせた。 日本の母親となって琵琶湖に新たに県を出産するというなんとも露払いなネタである。
ラマーズ法のリズムで
と叫ぶ彼の背中はとても大きかった。
そんな日々も大学卒業と共に終わる。
社会に出て早3ヶ月、半年ほどぶりに気の合う仲間で集まった。その中に当然松井もいた。
たわいもない空間、生産性のなさが無限に繰り広げられるその空間は前とは違って少し居心地が悪かったんだ。
なにをやっても明日の仕事がよぎる 社会ってのは毒だ。
松井がおもむろに口を開く
「ヒト畜、俺会社辞めるわ」
以前であれば、お前に社会は似合わない 別にだれか養うって訳じゃねえんだ好きにやんなとでも言ってやれただろう。
だが、毎日に疲れた俺はその言葉の無責任さに少し嫌悪感を感じていた。
しばらくして目がさめるとベイブ応援上映に変わっていた。 どこ目線で応援するんだよ。
俺は社会に毒されすぎた。 彼らのいつまで学生してるんだという苛立ちと共にこれ以上自分の惨めな姿を彼らには見せたくはなかった。
このタバコを吸ったら帰ろう....
おもむろに松井が口を開く
「会社マジでクソだわ、社長の嫁抱いたのバレただけでクビになるとかガキかよ」
....
........
.................もう一本吸おうか。聞かせろよ
どこにも行けない僕とどこへも行かない彼ら
まだ俺はここに居ていいみたいだ
ベイブってどうやって応援するんだっけな
なぁおい俺も混ぜろよ
日記
眠い眠い寝て起きるだけの生活になってはや3週間一人暮らしってのはどうやっても太虚が付きまとうわけで最近は常にテレビをつけっぱなしにして生きている。特段悲しい訳でも外の話題を取り入れたい訳でもなくただただ音が聞きたい。音楽を聴くのは好きだ ただ決まった通りに流れる誰かが作った定律なんかよりももっと自然な音が聴きたくてテレビをつけて寝る そもそも人が一生懸命作った作品を作業用BGMみたいに聞き流すのは作者に失礼じゃないかい?でもそんなこといったらテレビも裏では多大な人間の汗と血が流れてるああうるさいもう寝るってのに俺のどうしようもない脳は余計なことばかり考えやがる。
スーパーにいた、俺は料理が好きだ。嘘だ。眉目好いそいつを皿に盛ってはあからさまな補正をアプリでかけどこの誰とも知らない奴から認めてもらうためだ、最近はそれもどうでもよくなった嘘だ。こんなブログを書いている時点で弁明の余地がないじゃないか。ともあれフォトジェニックな飯が作れなくなったんだ俺は。それと同時に買い物も下手になった、何を買えばいいか全くわからん。なんだここは、なんでもあるじゃないか分からないな。チーカマが食べたいなチーカマ チーカマと水をもって30分ほど店内を歩き回りタラコも買った。どうして買ったかは覚えてなないただ命がいっぱい入って150円くらいなのウケるとかそんなだ多分。帰って冷蔵庫に突っ込んだが数十分後に冷蔵庫を開いて絶望した。明日も仕事だ。昼休みに先輩とNHKを眺めながらやたらと胸のでかいアナの話をする受信料を性に訴えるのはそこらに溢れるネット広告と一緒じゃないかとかそんなだ、毎日同期が怒鳴られているな、すぐに反論をするアホだからだ やってくる客たちも今日も怒鳴り散らかして帰って行くアホだ、そして忠順に頭を下げただただヘラヘラしている俺もアホだと思った。 今日もタバコはうまい。人間は裏切るがタバコは裏切らない。自分からタバコに触れておいて禁煙するだのなんだのお前はタバコの事を一方的に裏切るのかい?そんな支離滅裂な盾を前に今日も吸う、いつから吸い始めたなんてもうとっくに忘れた。
吸う事に意味なんてない。
吸っている俺に意味がある。それだけでしかない。
メンヘラとヤリマンの話
「余程の純愛でない限り後輩に手を出すのは甘え」
彼とは知り合ってもう4年近くなる。 大学で知り合い取り留めのない話をして気付いたらそれだけの時間が経っていた。
そんなハエのたかる縁にもなる友人が偉そうに「純愛」について語ってきた。
後輩に手を出す行為に対して「不純」などと言うのであれば世の恋沙汰などは9割9分9厘腐り落ちるじゃないか。
「SNSにいるメンヘラとかに手を出すやついるだろ あれも甘えだ」
まぁ分からんでもない、でもそんな事を口にするのは野暮ってやつである。需要と供給の一致によりメンヘラ達が神の見えざる手マンにより潮を吹くことで今日も市場経済は調整されると国富論にも書いてあるじゃないか。
「でもな、ヤリマンっているだろ? あれに手を出すのは純愛だ」
メンヘラに手を出すのが不純でヤリマンは純愛?一体どういう事だ。ついにトチ狂ったか。
そもそも「メンヘラ=ヤリマン」という重力が見つかる前から続くこの世の絶対摂理があることから、成り立たない事が明白である。
「まぁ聞けよ。 【メンヘラ=ヤリマン】これは確かに正しい。 だけど【ヤリマン=メンヘラ】これは間違ってないか? セックスをスポーツの一種みたいに考える人とか、矢口真里はメンヘラじゃないだろ」
《それでも地球は廻っている》
地球が中心ではなく太陽が中心であるように、天が動いているのではなく地面が動いてるのと同じように、【メンヘラ=ヤリマン】という説はコペルニクス的転回を迎え音を立てて崩れ落ちた。 平成のガリレオ爆誕である。
これによって「ヤリマンに手を出すのは純愛説」が完全には否定し切れなくなってきた。 しかしどういう理屈なのであろうか?
「ヤリマンとメンヘラってのは結論から言えばSEXにたどり着くってのは同じだ。しかしその過程が全く違う。」
彼は語る
「ヤリマンってのは言わば性悪説だ。野生的な狩りによって標的に狙いを定め狙った相手に食いつき貪り食う」
ロックは言った。「人間の自由を侵してはならない」と、自然法的な立ち位置に立ち あくまで釣られるかどうかは男側に託されている。こうしてメンヘラに食い尽くされたイギリスは心身喪失により名誉革命が成立した。メンヘラ万歳
ロックのこの搾り取られた顔ね
ちょっと待ってだからといってなんなのだ。ヤリマンが純愛ってことにはならなくない!? ていうか今回ちょっと無理ない!?
彼は言う、
1.オマンコとオチンコのこと
「だからこそ己の欲に忠実なヤリマン達ってのは一切の不純物のない完全に純粋な愛こと純愛なの!ていうか俺がそう言ったらそうなの!」
わかった、わかった 今日はやたらと無理やり正当化させるじゃないか、何かあったんですか。
「この前性病になったんだけど、性病貰った相手と付き合うことになった。これは純愛だよな?」
そう言い残して僕は帰路に立つ。
これも愛
あれも愛